『水は方円の器に従う… 癸水です。』
世の中はバレンタイン。 「好きな人と結ばれたい」「良い縁が欲しい」 愛や恋の話題で持ちきりですが、その裏側で、人間関係に苦しみ、涙を流している人も多いでしょう。
「あの人は悪縁だ」 「なぜ私ばかりこんな目に遭うのか」
そう嘆く気持ちは痛いほど分かります。 しかし、リアリストとして、そして仏教の視点から、残酷な真実を言わねばなりません。
あなたが苦しいのは、相手が「悪縁」だからではありません。 あなたがその相手に「執着」しているからです。
今日は、仏教の根幹である**「愛別離苦(あいべつりく)」と「執着」**についてお話しします。
◆ 「悪縁」という実体はない
まず、この世に「悪縁という人間」はいません。 ただ、「あなたと合わない人間」がいるだけです。
では、なぜそれが「悪」になり、「苦しみ」に変わるのか? それは、あなたが**「相手に期待し、しがみついているから」**です。
「わかってほしい」 「変わってほしい」 「私を認めてほしい」
この**「ほしい(渇愛)」**という執着が、ただの他者を「苦しみの対象」へと変貌させます。 相手があなたを苦しめているのではありません。 あなたの「執着」が、あなた自身を締め上げているのです。
◆ 相手もまた、苦しんでいる
そして、忘れてはいけない視点があります。 あなたが苦しい時、相手もまた、同じように苦しんでいます。
縁とは「相互作用」です。 あなたが執着し、コントロールしようとすれば、相手は息苦しさを感じ、反発します。 あなたが「被害者」の顔をしている時、相手もまた「お前のせいで俺はこうなった」と思っています。
お互いがお互いに執着し、期待し、裏切られ、傷つけ合う。 これが「悪縁」のメカニズムです。
どちらかが悪いのではありません。 「執着」という病に、二人して罹(かか)っているだけなのです。
◆ 手放せば、ただの「他人」に戻る
「執着こそが苦である」 お釈迦様の言葉です。
縁を切るハサミは必要ありません。 ただ、心の力を抜くだけでいい。 握りしめていた手をパッと開けば、相手はただの「他人」に戻り、苦しみは消えます。
……と、色々とロジックや説明はできます。 頭では分かっていても、心が追いつかない。 「そうは言っても……」と思う気持ちも、痛いほどわかります。
しかし、まずは自分を解放しましょう。 その手を緩めたとき、見えた世界はきっと違って見えるはずです。
St.Valentine 良い夢を・・・・
調和より普遍を… kisui[癸水]


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